牧師の書斎 2019.2.17

高校時代の親友が昨年亡くなり、1周年の命日に訪問した。その日、クラスメート2人と半世紀ぶりに再会した。友人の奥様や娘さんを交えての数時間、50年以上の時の経過を感じることがなく、高校時代の教室にいるタイムスリップしたような不思議な空間の中で過ごした。


後日、娘さんから手紙をもらった。「白黒だというだけで遠く感じられた父の卒業アルバムが、皆さまと語り合う機会に恵まれたことで、この一冊に色づく部分が増えました。妙なる感覚でありますが、当時の学生生活に父の視線をたどることが出来る気がしてくるのです。今も変わらず、父を想っていただき、多くの時を過ごして下さいましたことを感謝せずにはいられません」。


以前、牧師の書斎にも書いたが、亡くなった親友は、高校時代私を初めて教会へ連れて行ってくれたその人である。彼が私を教会に導いてくれなかったら、私は妻と出会うことも、また教会の兄弟姉妹と一緒に今礼拝することもなかっただろうと想うと、彼は私の大恩人であり、私は神とYF君に感謝せずにはいられない。


教会に導かれる前に良き友に恵まれたこと、またクリスチャンとされ、良き妻と共に主に仕え、神の同労者として宣教に遣わして下さり、家族が与えられ、教会に主にある兄弟姉妹たちを集めて下さり神の恵みを共に分かち合えるように今も全てを導いて下さっていることを神に感謝している。

 

 

 

 

牧師の書斎 2019.2.10

今年最初のメッセージを元旦礼拝の中で出戸新会堂のコンセプトにふれ語らせていただいた。その中で今までは建物の構造というハード面の「バリアフリー」を強調してきたが、これからはどのように地域に証していくか、いわゆるソフト面の準備を語った。地域の人々が気軽に出入りする地域に開かれた教会、コミュニテイーセンター的なプログラムを企てて必要があると感じている。

 

また南海トラフ大地震が発生する可能性が非常に高いと言われている今、甚大な被害が予想されているが新会堂が大災害時、地域の防災センターとしての機能を備え、またボランティア活動のセンターとして用いられることを考えながら、日々祈り備えて新会堂建設を進めていきたいと思わされている。


先週、JECの教職者研修会に出席した。ゲストは奈良にあるバプテスト教会のHM牧師で、10年前に新会堂建設のコンセプトを考えていた時、「会堂が週に一回しか使わないのにもったいないのではないか」と疑問を感じられたそうである。子供の虐待の現実を知り、「子どものいのちを守りたい」という願いを抱かれ、社会の必要に応えるため幼稚園を併設する計画をされた。HM牧師は、神から与えられたすべてのいのちを尊び、思いがけない妊娠で悩んでいる妊婦のため全力でサポートするミニストリーや、ホスピスの理念に沿って、最後までその人と暮らせる「ホームホスピス」の働きも始めておられる。そのメッセージを聞きながら共感させられ私の心が熱く燃やされた。


地域の人々の心に添い、教会は敷居が高いと感じておられる人々がいつも出入りする、バリアフリーの教会が急務であることを祈りのうちに、内外に準備していこう。

 


 

 

牧師の書斎 2019.2.3

近年、毎年のようにインフルエンザが大流行すると言われている。今年もニュースを見るとすでにインフルエンザに罹った人が222万人を超えたという。日本列島の地図に都道府県別に赤く記した「インフルエンザ流行レベルマップ」全体が真っ赤になってしまっている。感染しても発症するまで潜伏期間が1~2日あり、発症後も1週間位は感染力があるのでその間に周囲の人たちに感染するので厄介である。

 

孫たちはインフルエンザに罹った時、40度を超える熱が出て心配し妻とともに祈った。妻は口癖のように、外出から帰ってくれば必ずうがいと手洗い言う。昔、英会話クラスに出席されている婦人の子供さんがインフルエンザに罹りクラスを欠席された。次の週にクラスに来られた時に、「長男がA型、次男はB型だった」との事。血液型の話ではなく、インフルエンザの型の話であった。次男にはタミフルが効かなくてリベンザが効いたとう話をされた。医学の発達と共に多くの病気が根絶に向けて研究されてきているが、一方、ウィルスもバージョンアップし新種のものが次から次へと誕生し、医学の研究も目に見えない様々なウィルスとの闘いが続けられている。


先日、教会のメンバーにメールを送った後、返事で「送られてきたファイル、ウィルスに感染している可能性があると自分のパソコンが言っていた」と書いてあって心配した。ちゃんとウィルス対策をしておかなければならない。ウィルス攻撃を阻止する新しいソフトが絶えずバージョンアップされているが、イタチごっこだそうである。攻撃している相手が見えないから不安が増大する。


信仰生活においても同じである。「私たちの戦いはこの暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)とパウロの言葉にあるように目に見えないサタンとの戦いである。サタンは狡猾で、その手口は簡単に見破る事は難しい。特に、不信仰というウィルスをまき散らし、その感染力は恐ろしいほど早い。祈ることは言うまでもないが、予防は神の御言葉をしっかり食べることであり、デボーションと兄弟姉妹との信仰の交わり、集会に出席することであろう。


 

 

牧師の書斎 2019.1.27

先週、1月17日から5日間、韓国の南原市訪問の途中、姉妹教会である大邱山格教会のHan師ご夫妻に会った。ご夫妻と久ぶりにお会いし歓迎して下さった。


丁度一年前、1月21から2週間、Han先生が主宰しておられるDMCグローバルのミニストリーであるフィリピンのミッショントリップに参加し、心が熱く燃やされたのが鮮明に記憶に残っている。Han師と会った時、「今日の夜、DMCグローバルの働きを支援する56ミッションの総会が開催されるので、今日ここに来たこと、あなたは大変幸運だ」と言われた。
私は前もってその総会の事が知らされてその日に合わせてここにきたのではないが、この日に大邱に来たことは、全ての時を支配される神の奇しい導きがあったことを確信した。


DMC(Disciple  Making Church)とは「キリストの弟子が教会を作っていく」ことで、以前に牧師の書斎でも紹介したが、DMCの153ビジョンは①海外1000教会献堂②本部巡回宣教師500人育成 ③海外30か国DMC設立、である。すでに海外12か国に宣教師を派遣し、現地住民による民族教会の設立にご夫妻で東奔西走しておられる。Han師は「海外宣教はお金も必要であるが、それよりも大切な事は人材育成である」と言われた。毎月現地に赴かれ教会増殖(Church Planting)を現地の働き人を訓練し育てることに力を注がれ、すでに470教会、5万人以上信徒に成長しているそうだ。
昨年、Han師に初めて会いビジョンを聞かされた時、私自身の霊も心もワクワクさせられたことを覚えているし、今も心に「宣教」のビジョンを共有させられている。


Han師ご夫妻は2月にはインド宣教へ行かれ10教会の献堂式、3月にはフィリピン宣教に行かれると聞いた。
教会堂の献堂の条件は100人以上集められていることである。Han師が来日された時のメッセージの中で「50万円あれば一つの教会が建てられる」と語っておられたことを忘れてはいない。私たちも宣教地へ行くことが出来なくてもビジョンを共有し、祈ることにより、また捧げることによって、宣教の働きの恵みに預かることが出来ることを覚えながら、志を持って今年もチャレンジしていこう。 


 

 

牧師の書斎 2019.1.20

先週、恒例の成人式が各地で行われた。成人式には振袖姿の女性や、紋付羽織袴を着用した男性の姿が目立つ。昨年、成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げる改正民法が可決され、2022年から施行されようとしている。しかし、驚くことにユダヤ人社会での成人式(バーミツバ)は13歳である。理解し難いが、日本では中学生の年齢であって、ユダヤ社会とは大きな差がある。ユダヤ人の家庭では3歳になると文字を教え、4歳になると律法(トーラー)教え実践させるのである。厳格なユダヤ教徒の中には、13歳の成人を迎えるまで、旧約聖書のモーセ五書を完璧に暗記するという。どこの国でも自分の国の言語、歴史、文化を教え誇りを持たせ、自分たちの民族が最も優れていると教え込むのである。多くの親たちは教育偏重というか、この世的な英才教育を最優先して子供を育てる。いい学校、いい会社に就職することが成功者と考えている人が多い。


1901年以降、ノーベル賞受賞者662人の内で、国籍は関係なくユダヤ人が180人受賞した。ユダヤ人は他の民族に比べて人種的に優秀言われている。しかし、アメリカの研究者が脳の構造だとやIQを調べた結果、・・・生物学的には他の民族と何ら変わらないそうである。
ユダヤ人の知的レベルが高いとするなら、それはユダヤ人の教育の仕方にあるという。その教育の仕方は最も重要なことを第一に教え込むことである、という。


箴言1章7節に「主を恐れることが知識の始めである」とみ言葉がある。ユダヤ人は、真の唯一なる神がおられること、その神を「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛する」ことを最も大切なこととして教え込むのである。この信仰教育がユダヤ人の多くがノーベル賞を受賞する理由だと、周知の事実として知られている。(「実は知らなかったイスラエル(川端光生著)」参考著書)


私たち、八尾南福音教会の使命の一つに、「年齢のバリアフリー」の中でクリスチャンホームの信仰の継承を掲げている。子供は親の背中を見て育つと言われる。クリスチャンの両親は子供たちの信仰の継承を願い、彼らがこの難しい時代に流されないように真剣に神に願おう。また新成人の中からクリスチャンが多く輩出するように祈っていこう。

 

 


 

 

牧師の書斎 2019.1.13

主の恵みによって始まった新しい年も2週間過ぎた。2018年の元旦メッセージは詩篇73篇28節から「神の近くにいるしあわせ」というテーマでメッセージをさせていただいた。「神の近くにいる」ことを感じるのはみ言葉を味わい、黙想し祈る時であり、又、み言葉の分かち合いをしている時である。(もっとも、普通に何気なく時間を過ごしている時さえも主は近くにおられるが‥)昨年は一対一弟子養育クラスの中でその事を味わったのは私だけではないだろう。


この年も私たちの信仰の養いに時間を使っていきたいものである。
毎年、12月に入ると新年度の教会のテーマために祈ってきた。2019年度の元旦礼拝のメッセージを準備する中、創世記1章の「初めに神が天と地を創造された」という言葉がクリスマスのあと私の頭の中から離れなかった。


私は手紙とかメールを送る時、冒頭の言葉に「創造主なる神をほめたたえます」と書くことが多い。極寒の冬の日でも、酷暑の夏の日でも、創造主なる神を賛美することによって、喜び感謝する思いが湧いてくる。私たちは創造主なる神を賛美するためにこの世に生まれ置いて下さっている。元旦礼拝で開会賛美に聖歌480番「輝く日を仰ぐ時」が歌われた。スウェーデンの詩人、カール・ボバークによって作詞されたこの賛美は、私たちのJECでもよく歌われ私の好きな賛美歌の一つである。太陽の光が眩しい輝く日だけでなく、嵐になりいかずち(雷)が鳴り渡る時でも、まことの御神を思い、誉めたたえて日々を、と過ごしていきたい、と祈らされている。今年一年間のテーマは「創造的信仰に立つ・・・神がそれを見て、よしとされた」。先週の週報の牧師の書斎にもふれたが、み言葉とコメントを入れて毎年送ってくれる友人の年賀状に、奇しくも詩篇121:2「私の助けは、天地を造られた主から来る」が記されていた。

 

神が創造主であるゆえに私たちの必要を一番ご存知であり、いつも最善を成して下さると信じている。
この年も神がいつも良しとされているので「すべてのことについて感謝をしていこう」(1テサロニケ5:18)

 


 

 

牧師の書斎 2019.1.6

スマホに「敏雄さんの2018年」というタイトルのメールが表示されていたので、なんだろう…と開いてみた。すると、敏雄さんの2018年に訪れた場所を振り返りましょう、とあった。「訪れた場所の数」は21か所、10都市、3か国。あなたは合計16460㎞、あなたは地球を41%分を移動しました。移動に関するデータで徒歩80時間114㎞、自転車で91時間65㎞、自動車で743時間3351㎞。距離が最も長かった旅行はジャカルタ、西ジャワ(7月17日~23日)。時間が最も長かった旅行・・・奈良県、大阪市、福岡(地図と町の写真が載せられいる)。注目の場所・・・ショッピング(よく行く近所のスーパーや大型のショピングモールの写真)、飲食店(回転すし屋やファーストフードの店)、注目のホテル(インドネシアで滞在したホテルの写真)等々。スマホに位置情報を設定しているので私の行動がすべて記録されている。ただそこには私の一年間の行動を記録されているだけに過ぎないもので、何の助けにもならない。が、しかし、驚いた!

 

今年も、友人からの年賀状に、詩篇121篇1,2節のみ言葉「私は山に向かって目をあげる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」が記され、「右の歌は、エルサレムに上る時の巡礼歌の1節で、『山』は様々な試練や困難の象徴であります。人生の旅人である私たちは、下(地上のもの)ばかりを見がちですが、時には目をあげて、山々よりも高い上から来る『助け』を求めてみるのも良いのではないでしょうか」と書かれていた。


同じく121:3に、「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない」と約束されている。詩篇17:8には、「瞳のように見守り‥」とある。瞳というのは、外から見えるからだの各部分のなかでとくに敏感に反応するところである。この一年間も、わずかの危害でも及ぼうとするとただちにまぶたを閉じて守るように、一挙手一投足の全てを見守って下さるお方を友と呼べる私たちは「幸せ者」である。


この事実を心に刻み覚えて、今年も日々感謝しつつ歩んで行こう。

 


 

 

牧師の書斎 2018.12.30

年末の恒例行事の一つに、日本漢字能力検定協会がその年の世相を表わす漢字一字を全国から募集し、「災」が一位になった事が発表された。周知のように、今年は自然災害が各地を襲い、人災が注目された。北海道や大阪北部の地震、西日本豪雨、相次いだ台風や記録的な猛暑などの自然災害によって多くの人が被災した。またスポーツ界での相次ぐパワハラ問題、財務省の決裁文書改ざん、大学の不正入試問題などの事件が発覚し、多くの人がこれらの出来事を人災や災いと捉えたことが挙げられた。

 

私たち、八尾南の教会にとって今年を表す漢字一字は何だろうか、と考えてみた。昨年は大阪オンヌリ教会の兄弟姉妹が、同伴者である私たちの教会の兄弟姉妹のために信仰の養育者となって下さり大きな恵みに預かった。それを受けて今年は、半年間かけて「一対一弟子養育者クラス」を持ち晴れて正式に11名の終了者を得た。次のステップが重要であることは言うまでもない。修了者の兄姉方が「一対一弟子養育者クラス」を始めるために祈り、奮起し取り組めるように!


また長年、三代目のクリスチャン誕生のために祈って来たが、8月にYくんとHくんが兄弟でバプテスマを受けた。
もう一つの喜びは4人の受洗者が与えられたことである。これらのことを思うと、今年を表す言葉は「命」である。その「命」とは産み出していくいのちである。多くの兄姉の涙と汗が流されたことであろう。詩篇126篇5,6節にあるように「涙と共に種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出ていく者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる」と言われた。


共に御国の福音の宣教のため奉仕することが出来たことを神と兄弟姉妹に感謝している。今年も主の恵みが豊かに注がれたことを感謝して、新しい年、兄姉一人一人に更なる祝福が豊かに与えられることを期待している。

 


 

 

牧師の書斎 2018.12.23

子供たちの好きなクリスマスは「サンタ」と「ケンタ」だと言った人がいる。サンタは「サンタクロース」だと誰もが解るが、「ケンタ」とは? それはケンタッキー・フライド・チキンの事である。クリスマスにフライドチキンを食べる風習は1970年、ケンタッキー・フライド・チキンの日本で第1号店を出店したことから始まったそうである。日本ではクリスマスが習慣化され町中が商業ベースに載せられてクリスマスの感覚的な雰囲気だけを醸し出される事に年々エスカレートして「クリスマス=キリスト礼拝」を知らないキリスト不在のクリスマスが連綿と続けられている状態に「この時代の人々は、何にたとえたらよいのでしょう。何に似ているのでしょう。・・・笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。」(ルカ7:31,32)と言われた主イエスの言葉が心に響いてくる。


先週金曜日にNHKテレビ番組「チコちゃんに叱られる・・・クリスマスイブの衝撃の事実」を何となく観ていた。クリスマスイブのイブとは前日ということを多くの人が認識している事であったが…。しかし、イブとは「イブニング(evening)」と略で「夕方」という意味である、と。クリスマスイブとはクリスマス前夜というように捕らえているがそうではない。聖書には神によって造られた世界の一日の始まりは朝ではなく、「夕があり、朝があった」(創世記1章)と書かれている。


24日の日没からクリスマスが始まる。このクリスマスの日の始まりに「すばらしい喜びを知らせ」(ルカ2:10)を今年も聖歌隊が届けること出来る。賛美を聞いて下さり「暗闇の中に住んでいた民が、大いなる光」(イザヤ書9:2)であるキリストを知り、キリスト礼拝する者となるように祈りつつ地域を回りたい。神が聖歌隊のメンバー一人一人に霊的にも肉体的にも強めて下さることを祈っている。


地の上に平和が御心にかなう人々にあるように!
メリー・クリスマス!